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お宮参り

お宮参りの歴史について

赤ちゃんが生まれたことを産土神に感謝して報告する行事であるお宮参り、その歴史を知らない人は多いのではないでしょうか。今回はお宮参りの歴史について触れていきましょう。

お宮参りの歴史について

お宮参りの起源

古くから「産土詣(うぶすなもうで)」と呼ばれ、ご馳走を食べたり、産後に神様に挨拶する行事はあったようです。
生まれたばかりの赤子は現在のように皆が皆、元気に育つものではありませんでした。そこで人々は赤子が亡くなることがないようにとお祈りをしました。

「産土神(うぶすながみ)」は、生まれた土地の守護神のことを言います。
生まれる前から死んだ後まで守護する神様とされており、別の土地へと移住しても一生を通じて守護してくれるといわれています。

氏子入り

「氏神(うじがみ)」とは集落に住む人々が共同で祀る神様のことです。
元々は、「氏一族」があり、その一族を守護する神様のことでした。
しかし、年月が経つにつれて「産土神」と「氏神」は混同されていきます。
昔は現在のようにあちこちへと転居することはなく、生涯を通じて同じ土地に住むことが多かったことが影響しています。

「氏子(うじこ)」とはその土地の神様、つまり氏神様を信仰する人のことを言います。
新たな生命を授かって村の氏子になることを「氏子入り」と言います。
多くは新生児が生後1か月前後の時に、生家の氏神や地元にある神社で御参りをしました。
赤子には産着を纏い、男児には熨斗目(のしめ)、女児には晴れ着を着せました。
このように氏神様に認めて頂いてはじめて氏子となり、その土地の一員となりました。

「七歳までは神の子」「七つ前は神のうち」という言葉を聞いたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この言葉には諸説ありますが、前述したように昔は皆が皆元気に育つものではなかったことから、子供が7歳になるまでは神様に生死を委ねられていると考えられていたことからだと言われています。
その時期を無事何事もなく過ぎると1人の人として認められ、7歳で「氏子入り」したようです。
このように地域によっては7歳で再度氏子入りをする場合もあるようです。

本来、お宮参りと氏子入りは別の儀式でしたが産土神と氏神の区別がなくなってからは、同一の意味とする場合が多くなっています。
そのため、現在では氏子である証明の氏子札をお宮参りで授与されることが一般化されています。

お宮参りの歴史

鎌倉時代には「お宮参り(初宮参り)」の元になるような風習があったそうですが、この頃にはまだ「お宮参り」と呼ばれていなかったようです。

その後室町時代になり、室町幕府第3代将軍の足利義満が生まれた際、幕府の勢力を示す為に大掛かりな宮参りを行いました。
このことをきっかけに、「お宮参り」と呼ばれるようになり一般化され現在のような御祈祷を受ける形式になったといわれています。
また、神様への報告だけではなく氏子として認めてもらう(氏子入り)意味を含めるようになったのは鎌倉~室町時代と考えられています。

そして江戸時代に、お宮参りの帰途に大老宅へ立ち寄る風習が生まれました。
江戸幕府第4将軍徳川家光のお宮参りをした際、重臣の井伊直孝の屋敷に立ち寄り休息をとったそうです。
最初は武家社会のものでしたが庶民の間にも広がり、やがて現在のお宮参りの後に親戚や知人の家に訪れるものへと変化し全国へと広がったようです。

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